みんな大っ嫌い! 大人の反抗期

ASACOの人生が急展開を迎えたのは、
3期にわたり開催してきた魔法学校(※現在はクローズ中)
を終えたちょうどその頃でした。

いわゆる「燃え尽き症候群」がASACOを襲ったのです。

思えば、魔法学校シーズン2(3期目)の最中から、
自らの著しいパワーダウンを感じていました。

ふつふつと湧き起こる怒り――。
できない人に対する苛立ち――。
自分で行動をしない周囲の人間への
黒い不満が積もりに積もっていきます。

それらの“はけ口”を見出すことも出来ず、
ただ鬱積していくだけの日々。

「楽しくない。」

こんなはずじゃなかった。
お金なんて稼げない方がましだったかも!!
みんなみんな、大嫌いだ!!
そのなかでもわたしが一番嫌いだ!!

こころは 完全に崩壊し始めていました。

――頑張りすぎた。

コンサルタントとしての高額実績がないまま
突っ走り続けてきたことへのしっぺ返しは、予想以上に大きいもので、
それは、重くわたしの体にのしかかっていました。

何もかもが嫌いになりました。

お客さんも、友達も、彼氏も、世間も、人生も。
何より、
わたし自身がわたしを大っ嫌いに――。

そしてそして、その大っ嫌いは、
ずっと、いつからかわからないけれども、
ずっとそうだったのだということを思い知らされた時期でした。

わたしの人生では、それまで
人に相談をすることはあまりありませんでした。

いやそもそも、
「頼らせて欲しい」
と自分の口から出したことなどほとんどなかった。
でもどうにもならない現実。

毎日が嫌で嫌で仕方がない。

何を聞かれても、
いやって言う子供の反抗期のように、
すべてのものがいやでした。

嫌で嫌で仕方がなくて、その上、
「このままではいけない!」と襲いかかってくる不安と恐怖。

この先ずっと何もしたくない!

やだ!
怖いよ!
助けて!

と叫び続ける心。
「あの感覚」に震えている毎日・・・・。

そう、母を失った後の感覚が
また津波のように自分に襲いかかってきていました。

なんとかしなきゃ・・・
と口には出してみるものの、
一向にいつもの霊感は働かない。

こんな時に役立たずな霊感なんて、
やっぱりそんな能力引き継がなきゃよかったよ・・。

自分の人生のすべてが
暗黒面に飲み込まれそうになりかけていました。

だれかに、だれかにSOSをしないと、
わたしは・・
わたしは本当に・・・

おかしくなってしまう!!

「最初からおかしいだろう」って言いそうな人には、相談できない。

一番聞いて欲しい彼も、
自分の仕事のことや日常で精一杯。

そんな時に一体誰に頼ったらいいのか、
本当に途方に暮れました。

数日とぐろを巻くようにドロドロ悩んだ後、
思い切るターニングポイントが来ました。

ビジネスの師匠からのメールマガジン。
ああ、もしかしたらこの人だったら・・・。
答えが返って来なかったとしてもいい。
相手はとても忙しく、ビジネス業界ではものすごい人気のある人だ。

でも、もしかしたら・・・。
そんな思いで書いたメセージ。

「もう何をしていいかわかりません。
何もしたくありません。やる気がありません。
アグレッシブなわたしはどっかに行っちゃって、無気力です。
わたしはどうしたらいんでしょう。自分の商品がもう嫌いです。
もうやりたくありません。」

そんな風に自分のものごとを投げ出すことすら、人生で初めてでした。

意外なことに・・・
返事はその日のうちにすぐやってきました。

「そんなことだろうと思っていたよ。大丈夫。
いきなりブレイクしたやつは、かならずそうなる。
いつそうなるのかって・・心配して見てたんだよ。」

師匠のメッセージは殊の外優しく、
幾度かのメッセージラリーの末に
打開策を見つけるための密会の予定が決まりました。

密会の日。

都内にある有名な高級ホテルのラウンジでわたしは、その人を待ちました。

そして、やあやあ、と息急き切ってやってきたその人を見て
思わず目が潤みました。

どんだけ、頑張っていたんだ。わたし。
その時にわかりました。

満たされていない何かを、
一生懸命にビジネスに向かうことで
満たされようとしていた自分を。

そして、常にそれが癖で、
頑張り過ぎてしまってきた自分を。

コーヒーが冷める頃には、
そこに至るまでの経緯を、すっかり話しきっていました。

今度は師匠からの厳しくも温かい、
再生へのプランニングレクチャーが始まりました。

今振り返っても、この時ほど
「頑張ってきてよかった」と
「頑張り過ぎたわたし、ごめんね」
が一緒にあったことはありません。

そこから生まれてきたのが、
「しゃべる魔法の書」セミナー(2014年10月開催)と
「魔法の書」自費出版の企画でした。

満員御礼で無事に終えたこのセミナーののち
「魔法の書」をみなさんにお届けできるまで、
1年半の月日が流れていき、
その間は懸命に取り組むことを余儀なくされました。

第二の故郷バリ島へ何度も渡り、執筆をする傍ら、
“もう一つの出会い” がわたしの人生を大きく開こうとしていました。