メンターとの出会い

「あさちゃんと同じようなことをしているけど、
面白い人がいるんだ。会ってみない?」

そう誘いを受けたのは、
しゃべる魔法の書セミナー企画が立つその前だっただろうと思います。

今思うと、なんでその誘いに乗ったのかは定かではないし、
そもそも、他人のセミナーに興味を持つことすら
できなくなっていたわたしが、なぜ参加をしたのかということも、
今となってはすっかり思い出せません。

「渡りに舟」という言葉は、
まさにこういうことだったのかもしれないな・・
とは今思うところです。

その誘いはその後、意外な展開を起こしていくことになります。

2012年の冬にバリ島のメンターと呼べる師匠が急死してから、
わたしには、師匠と呼べる人がいなくなりました。

いや、様々な分野を教えてくれる師匠は存在しました。

ビジネスにおいて師事した彼らは、
まさしく素晴らしい師匠だったし、
彼らの影響なしに
わたし自身の今は絶対にないと言い切れるのですから。

でも人生を導き、すべてにおいて包括的に
教えを乞いたいと思う人物はそうそういるものではありません。
わたしにはそういう人物がすでに存在していました。

その人が亡くなってからは、人生を教わる先生はもういない。
この世にはそんな人は二度と出てこないだろう
という思いで生きていました。

「全部自分でやらなくっちゃ」

という母の教えをそのまま引きずり、
大人の反抗期を起こしていたことすら、この時点で
まだ気づいていなかったのだから仕方がなかったのかもしれません。

ところが・・・
その年の秋、わたしは出会ってしまいました。

日本人で、同世代で、田舎育ちで、
不思議な魅力をもつメンターに。

正直に言ってわたしのメンターは日本人にではあり得ない。
とタカをくくっていました。

日本人にわたしを導けるような器の人がいるわけがないと。
霊的に傲慢になっていたと言えばそれまでですが、
本当にそこまで「勉強」をしていて、「性格」もよく穏やかで、
何より、「わたしの才能に嫉妬しない」という人間が
日本にいるとは思えていませんでした。

過去の様々な出来事から、
自分を守るためにいろいろな感覚を麻痺させて、
そしてその麻痺させた先に多くの武器を携えて
必死に自分を守り抜こうとしていたんだなあと、
今となっては思いますが。

どうしてこの人について行こうと思ったのか。
今ではもうわからないんです。

だけど、その出会いが
わたしの考え方、性格、霊的な成長などすべての要素を、
根底からひっくり返して導いてくれるようになりました。

「幸せなお金持ち」って身近にいるんだ
とわかった瞬間でもありました。

以来、わたしはその人に師事し、相談し、やり方を模倣し、
実践、相談、実践、相談を繰り返しながら今日までやってきました。

気づいたら幸せなお金持ちに

たった1年半。
気づけばメンターとの出会いから、
わたしは大きく成長していくようになりました。

喜怒哀楽がしっかりある性格はそのまま、
どんどん自分の人生を謳歌するようになりました。

はじめは正直に辛かった。
「慣れ親しんだ自分の考え方や行動のパターン」
と別れることができず、本当にもがいた。

毎日怒っていたし、
毎日泣いていました。

でもそのすぐ後には、
毎日笑えるようになっているわたしに気づいていきました。

みんな大っ嫌いだ!わたしが一番大っ嫌いだ!
そう叫んでいた心が修正されると同時に、わたしに起こった変化。

それは、

自分を好きになっていくと、
お金もめぐりがよくなってくる

ということ。

そして、

お金をめぐらせるためには躊躇して使ってはいけない

ということ。

この二つを、
「身近な幸せなお金持ちメンター」から
学べたことはとても大きなことでした。

「幸せなお金持ちになれる!」
それを自分自身が実体験した今、
わたしが伝えたいことは、

「必ずうまくいく魂のシナリオをみんな持っている。
幸せになるために生まれてきている。」

ということです。

そして「幸せなお金持ち」になれるチャンスを提供していくことを大切に、
何より「わたしが幸せを感じ続けて毎日を過ごしていること」
が大事なのだなと思っています。

教えることから、魅せることへ。

わたしの人生のステージは今、大きく変化して、
より一層幸せを感じる人達とともに、
より一層幸せを感じる毎日へと、
大きく変化していくための活動になっています。